Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

ザッハトルテ
Sachertorte
チョコレートの層にアプリコットの酸味が通る、ウィーンの菓子
トルテ / オーストリア

チョコレートの暗い焼き生地に、アプリコットの明るい線が走ります。ザッハトルテは、生地とジャムを糖とチョコレートの上掛けで覆い、無糖のホイップクリームを添えて親しまれるウィーンのトルテです。一人の職人の家名を持ちながら、ホテルの名物、宮廷菓子店の品、家庭で焼く菓子へと枝分かれし、「オリジナル」をめぐる争いまで生みました。
十六歳の見習いと、食い違う回想
ホテル・ザッハーに伝わる由来では、一八三二年、メッテルニヒ侯が客をもてなす日に厨房の責任者が不在となり、十六歳の見習いフランツ・ザッハーが代わって菓子を作ります。名物の始まりを少年の機転へ結び付ける話です。チョコレート・トルテそのものは十八世紀の料理書にもあるため、ここで語られるのはチョコレートケーキ全体の発明ではなく、ザッハー家の名を持つ菓子の誕生です。当日の会話や正確な配合は分かっていません。
フランツの息子エドゥアルトは宮廷菓子店デメルで修業し、一八七六年にホテル・ザッハーを開きます。妻アンナとともに製造と販売を広げ、一八八八年の『ウィーン新聞』への投書では、父が五十六年前に作ったトルテが、すでに各地の献立へ載ると述べました。
ところが、晩年のフランツには別の回想も伝わります。三浦裕子の菓子史研究が、マイケル・クロンドルの調査を通じて取り上げる一九〇六年十二月二十日付『ノイエス・ウィーナー・タークブラット』の取材では、九十歳の本人は菓子を作り上げた時期を一八四〇年代末としたといいます。息子の投書と、後年の父の回想には十数年の開きがあります。
クロンドルは、父の若い日の成功とメッテルニヒの名が、ホテルの宣伝の中で結び付いた可能性を考えています。これは回想の成り立ちをめぐる研究上の解釈です。十六歳の少年という由来譚は広く残る一方、発明年を一つに決めるだけの一致した証言や当日のルセット(材料の配合と作り方)は残っていません。
家のルセットと、ホテルの名が分かれる
アンナの死後、一九三四年にホテルは経営破綻し、新しい所有者へ移りました。この時、建物とホテル名に付く権利、家族の名とルセットに付く権利が分かれます。
同名の後継者エドゥアルトは、デメルへ「エドゥアルト・ザッハー・トルテ」の製造・販売権を渡しました。一方、新しい所有者が営むホテルは「ホテル・ザッハー・ウィーン」の名で販売するという取り決めです。家の継承と、建物で続く営業は、同じ一つの権利ではなくなりました。
ホテルの新所有者とデメルの異論は一九三八年に生じ、その後は「オリジナル」の呼称と、ジャムを中央にも挟むかが争点になります。一九六三年、ホテルは「オリジナル・ザッハー・トルテ」、デメルは「エドゥアルト・ザッハー・トルテ」の名を使うことで決着しました。
二店の客だった作家フリードリヒ・トルベルクは、アンナの時代には中央にジャムを挟まなかったと証言したと伝わります。ただし現在のデメルの商品は、中央と上掛けの下の双方にジャムを使います。かつての紛争で語られた違いを、そのまま今日の二店の切り口へ当てはめることはできません。
店を離れ、家庭の料理書へ
秘伝とは別の道を歩んだルセットもあります。カタリーナ・プラートの『南ドイツ料理』一八九〇年刊には、チョコレート・トルテの一型として「ア・ラ・ザッハー」が載ります。バニラ入りチョコレート、バター、砂糖、細かな小麦粉を各一五〇グラム、卵六個。卵白は泡立てて混ぜます。
焼いて冷めた菓子を裏返し、滑らかな面へ粘りのあるアプリコットの保存煮を塗り、煮たチョコレートの糖衣を流す手順です。中央を二枚に切ってジャムを挟む指示はありません。十九世紀末には、家名だけでなくジャムの位置や糖衣の扱いまで、家庭で再現する仕事になっていたのです。
喫茶室の外へ送るトルテ
一八八八年の投書でエドゥアルトは、専用の厨房で四人が昼夜働き、多い日には二百〜四百台を売り、発送すると述べました。行き先はパリ、ベルリン、ロンドン、さらに海の向こう。息子自身の宣伝を含む証言ですが、ホテルで切り分ける菓子と、遠い客へ運ぶ一台という二つの商いが、十九世紀末には並んでいました。
現在のホテルのオンラインショップは、工房から年間約三十六万台を世界へ発送すると説明しています。木箱とセロファンの包みは、運ぶ間の形を支えるだけでなく、家名を贈る土産の姿にもなりました。ホテルは自社製品を16〜18度で保ち、冷蔵を避けるよう案内しています。これはその商品向けの扱い方で、家庭の近似ルセットへ一律に適用する保存条件ではありません。
無糖のホイップクリームを脇に添える食べ方も、一切れの構成に関わります。製菓教本『Professional Baking』は、生地がやや乾いた口当たりであることと、この乳の泡を結び付けて説明します。しっとりしたクリームを何層も挟むケーキとは違い、糖衣と濃い焼き生地を切り、別添えの乳を一緒に取ります。糖衣と焼き生地の甘さに、砂糖を加えないクリームの柔らかさと乳の風味が重なります。
生地とジャム、上掛けの三つの仕事
ホテルが家庭向けに公開するルセットでは、柔らかいバターと粉糖へ卵黄を順に加え、溶かしたチョコレートを合わせます。別に泡立てた卵白と粉を折り込むことで、チョコレートの濃さと泡の軽さを同じ生地へ収めます。
ジャムを置く位置は、生地の間、上掛けの下、あるいは両方です。アプリコットの酸味はチョコレートの甘さを引き締め、表面に塗る層は糖衣を受ける面も整えます。ホテルの家庭向け上掛けはガナッシュではなく、糖液へ刻んだチョコレートを加え、流せる濃度へ調整するものです。
外形にも焼成と仕上げの両方が関わります。古くは丸底の器が使われ、現在のリング型で焼く場合にも、ジャムを塗る際に上縁の丸みを整えます。円い輪郭をただ型へ任せず、塗りと上掛けで仕上げる菓子です。
固有の商品名と、一般名の規範
一般名としてのザッハトルテには、販売する国の食品規範も関わります。オーストリアの規範は「ザッハー」に言及する菓子の材料とチョコレートの割合を示し、中央のジャム層を任意とします。ドイツの二〇二五年の精緻な焼き菓子の指針では、ザッハー生地、アプリコットを四五%以上含む果実の層、チョコレート系の上掛けという構成と、生地中の粉、チョコレート、バター、卵の最低比率が定められています。
これらは市販品の名称と品質を捉える基準で、十九世紀の配合を復元するルセットではありません。一般名の「ザッハトルテ」、ホテル固有の商品名の「オリジナル・ザッハー・トルテ」、家庭のザッハー風トルテには、それぞれ異なる範囲があります。
用語解説
- カタリーナ・プラート
- 19世紀オーストリアの料理書著者。『南ドイツ料理』にザッハー風のトルテを載せた。
- マイケル・クロンドル/三浦裕子
- 菓子史を論じる研究者。本文の父子の異なる回想は、三浦がクロンドルの調査を取り上げた議論に基づく。
- フランツ・ザッハー
- 一八三二年の由来譚に名を残す職人。ホテルの説明では当時十六歳の見習い。
- エドゥアルト・ザッハー
- フランツの息子で一八七六年のホテル創業者。一九三四年にデメルとの取決めを結んだ同名の後継者とは別人。
- アンナ・ザッハー
- エドゥアルトの妻。ホテルと菓子の販売を広げ、没後の経営変更が名称問題につながった。
- デメル
- ウィーンの宮廷菓子店。エドゥアルトが修業し、後に家族の名を付けたトルテを作った。
- メッテルニヒ侯
- 一八三二年の由来譚で客をもてなす側に登場する政治家。
- フリードリヒ・トルベルク
- 二店の客だった作家。ジャムの位置について後年証言したと伝統食品目録に記される。
- ザッハー生地
- 粉、油脂、卵、砂糖、チョコレートを主体とする濃い焼き生地。







