Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ
Schwarzwälder Kirschtorte
さくらんぼ、クリーム、キルシュが重なる黒い森のケーキ
トルテ / ドイツ

ココア色の生地、白いクリーム、赤いさくらんぼ。その三色を削ったチョコレートで飾るドイツのトルテでは、透明なキルシュの香りも重要です。生地へ含ませる酒と、果実の水分をまとめる仕込みが、柔らかな層を支えます。「黒い森」の名を持ちながら、遠い土地では別の酒や果実を使う祝いのケーキにもなりました。
赤い果実に、透明なキルシュ
味の中心はチョコレートだけではありません。酸味のあるサワーチェリーと、その実を蒸留した透明な酒キルシュが、クリームの脂肪分を引き締めます。キルシュは赤く甘いチェリーリキュールとは異なり、生地やクリームに果実の香りと酒の輪郭を残します。
二〇二五年版のドイツの製パン・製菓指針では、キルシュの風味がはっきり感じられることが特徴として挙げられます。一方、クリームには生クリームだけでなくバタークリーム、または両者の組み合わせもあり、生地も明るい色と濃い色のビスキュイやウィーン生地を使えます。薄い練り生地の底を添える構成もあります。現在よく見る黒いスポンジと白い生クリームは、この幅の中で広く親しまれている姿です。
国内の製菓指針と、欧州の「伝統的特産品」として一つの仕様を登録する制度も異なります。二〇一四年に改めて行われたこのトルテの登録申請では、黒い森産キルシュの指定などをめぐって異議が出て、ドイツ連邦農業食糧庁は申請を認めませんでした。
果汁を留め、生地には別に酒を含ませる
ココア入りのビスキュイを焼き、十分に冷ましてから横に切ります。果実は水を切り、取り置いた果汁を砂糖と凝固材で煮て、さくらんぼを戻します。ここへキルシュを加えて冷ますと、果実の間の水分がまとまり、柔らかなクリームの層へ流れ込みにくくなります。
果実入りの層に使うキルシュと、生地に染み込ませるキルシュは役割が違います。前者は果実の香りをまとめ、後者は焼いた生地へ香りと湿りを与えます。果実の煮汁をすべて生地へ流すのでなく、果実・生地・クリームの水分をそれぞれ整えてから重ねます。
温かい果実は泡立てたクリームをゆるめるため、冷却も組み立ての一部です。下の生地に果実とクリームを広げ、さらに生地とクリームを重ね、外側を覆います。表面の絞り、飾りのさくらんぼ、チョコレートの削り片が、切り口の三色を外側にも繰り返します。仕上げた後は冷やし、各層を落ち着かせます。
森、果実酒、三色の衣装
名前には、濃いチョコレートを森の暗さに結ぶ説、黒い森地方のキルシュを主役とする説、黒・白・赤を民族衣装に重ねる説があります。衣装説では、黒い服、白いブラウス、赤い大きな毛糸飾りのボレンフートがケーキの色と重なります。ただしこの帽子は、黒い森の三つの町・地区の衣装です。赤は未婚、黒は既婚の女性を示し、地方全域を表す衣装だったわけではありません。名がどの見立てから生まれたか、命名時の証言は定まっていません。
南部の黒い森には、煮たさくらんぼへクリームやキルシュを合わせるデザートもあります。一九一五〜三〇年ごろの菓子職人カール・ムフラーのノートには、底生地の上に焼き生地、さくらんぼとキルシュのクリームを重ね、チョコレート片を飾るトルテが現れます。個別の記入年は分かりませんが、クリームと果実を何層にもする姿は、二十世紀初めの職人の仕事に残っています。
職人の作る層が広がった二十世紀
ラードルフツェルで店を営んだ菓子職人ヨーゼフ・ケラーの家には、一九二七〜二八年ごろの、この名を掲げたルセット(材料の配合と作り方)が伝わります。名だけでなく層の組み方も残すその記述では、練り生地の底に寒天で留めたサワーチェリーを置き、焼き生地二枚へクリームとキルシュ入りシロップを重ね、外側をキルシュのバタークリームとチョコレートで覆います。今の生クリーム中心の断面とは、油脂の使い方も果実の留め方も違います。
一九一五年にケラーが発明したという伝承もあります。ただ、一九七五年に本人が業界誌へ寄せた説明は、一人の瞬間的な発明とは違う筋でした。さくらんぼとクリームを練り生地へ載せ、後にウィーン風の焼き生地やキルシュを合わせるようになり、似た菓子は以前から黒い森で焼かれていたと考えたのです。
一九八二年、父の没後にスイスの雑誌『ダス・ゲルベ・ヘフト』で語った息子カールは、父が一九一五年にバート・ゴーデスベルクのカフェ・アグナーで初めて作ったと説明しました。突然大勢で来るボンの学生に早く甘いものを出すため、クリームとさくらんぼに底生地を添えたという物語です。この記事は同年、ドイツの製菓業界誌にも転載され、さらに一九九〇年の七十五周年の報道へつながりました。父の説明と遺族の回想には、創作を一人へ帰すかどうかの違いが残っています。
テュービンゲンのカフェ・ヴァルツのエルヴィン・ヒルデンブラントも、一九三〇年にこの菓子を紹介し、一九三二年の職人大会後に南ヴュルテンベルクへ広まったと伝えます。一人の手で一日に出来上がったとするより、果実、酒、クリームを重ねる職人の型が各地で育った菓子として見る余地があります。
フランクフルトのカフェ・ファルクにも、戦前のこの菓子の記憶が残ります。後年の人物史には、一九二六年生まれのヴァルター・ファルクが、父と叔父の営む家業のカフェで作られた菓子、とりわけシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテをよく覚えていたと記されています。黒い森地方だけでなく、都市のカフェの仕事にも、この名のトルテがあったことを伝える回想です。
戦時のクリームと、戦後の工房
第一次世界大戦中の一九一五年九月、ドイツでは営業用の製パン・製菓に全乳やクリームを使うこと、泡立てたクリームを小売することなどが規制されました。例外許可もある規制で、家庭の菓子からクリームが一律に消えたわけではありません。それでも白いクリームを厚く重ねる現在の姿を、戦時の材料事情と切り離して同じ形のまま想像することはできません。一九二〇年代末にはバタークリームを使う職人の型も残り、現在の生クリーム中心の仕立てだけを過去へ投影できません。
第二次世界大戦中にも、この菓子を支える材料は乏しくなりました。製菓博物館の創設者ヴァルター・ポガニエッツは、当時ホイップクリームが手に入らなかったと語っています。白い層を厚く重ねる菓子には、技法だけでなく、乳の材料を調達できることが必要でした。
戦後の再開と仕立ての変化は、黒い森地方の一軒の工房にも見えます。グレメルスバッハのヴァイサー家のパン屋では、戦時中は黒パンが仕事の中心でした。一九四五年以降にレープクーヘンなどの細焼菓子を再び作り、やがてトルテも店に並べます。特製となったシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテも、かつてのクリーム型から生クリームを使う型へ移りました。黒い森の名をもつ菓子は、材料が乏しい時期を越えて同じ土地の工房で作り直され、白い層の仕立ても変わっていきました。
一九四九年の職業教本『若き菓子職人』でも、黒い森トルテは十五の代表的な菓子の一つに挙げられています。戦後には需要が増したとポガニエッツは振り返り、カフェ・シェーファーのクラウス・シェーファーは、一九五〇〜六〇年代の観光の広がりと人気を結び付けています。工房の仕事が再開し、職人の教育にも入り、旅先で食べる土地の名物へと広がっていきます。
米国での紹介をたどると、一九六三年に刊行されたミミ・シェラトンの料理書に、ヘレンアルプのカフェ・ハルツァーで出す型が載ります。二枚のチョコレート生地へキルシュを含ませ、チェリーとチョコレートのバタークリームを挟み、上にはキルシュを香らせた生クリームを盛る構成です。米国の読者に伝えられたルセットでも、バタークリームと生クリームは一つのトルテに共存していました。翌一九六四年五月には、ニューヨークの百貨店スターンズが、タバーン・オン・ザ・グリーンの菓子職人クラウス・リムベルクによるブラック・フォレスト・ケーキの実演を広告しました。ドイツの工房で再び焼かれる菓子は、海を渡った料理書の一頁にも、都市の売り場の催しにも姿を見せるようになります。
ラムの記憶、香料、ブルーベリー
キルシュの産地と結び付くケーキも、国外では違う材料と記憶を持ちます。プリヤ・クリシュナの二〇二四年の取材では、トリニダード出身の料理発信者ナターシャ・ラガンは、子どものころ店で食べたラム酒入りの型から、これが本来の酒だと思っていたと語りました。パキスタン出身の料理書著者は現地でチェリーブランデーの香料を使う型を紹介し、シンガポールには高価なさくらんぼをブルーベリージャムへ替えるルセットもあります。酒を省く地域型もあり、ドイツの指針にあるキルシュの風味を、世界の同名品すべての必須条件にはできません。
チリの伝播について、二〇二五年のSWRの現地取材は、一九六一年に移住した菓子職人ゲルハルト・カルプヘンを訪ねています。初めはサワーチェリーを入手するのが難しかったが、のちにチリ南部で栽培されるようになったという本人の経験は、職人の移動だけでなく、現地で果実を調達する仕事も必要だったことを示します。最初の渡来年そのものは不明でも、現地の客は誕生日、クリスマス、復活祭のケーキとして記憶しています。名と三色の姿が伝わる一方、酒、果実、甘さが土地に合わせて変わりました。
用語解説
- キルシュ/キルシュヴァッサー
- さくらんぼを発酵・蒸留して造る透明な蒸留酒。このトルテの重要な香りを担う。
- サワーチェリー
- 酸味の強いさくらんぼ。クリームや砂糖と組み合わせても酸味が残る。
- ビスキュイ
- 卵の泡を利用して焼く軽い生地。層状に組むケーキの土台にもなる。
- ウィーン生地
- 卵の泡を利用する生地のうち、油脂を加えるもの。
- カール・ムフラー
- 一九一五〜三〇年ごろのドイツ語の料理ノートに、このケーキのルセットを残した菓子職人。ノートはMuseums Victoriaが所蔵する。
- エルヴィン・ヒルデンブラント
- テュービンゲンのカフェ・ヴァルツの菓子職人。一九三〇年代の起源説と結びつく。
- プリヤ・クリシュナ
- 二〇二四年に各国でのトルテの変化を取材した料理記者。
- ナターシャ・ラガン
- トリニダード出身の料理発信者。子どものころのラム酒入りの型を取材で語った。
- ゲルハルト・カルプヘン
- 一九六一年にチリへ移住した菓子職人。現地のサワーチェリー調達の変化を語った。
- ヴァルター・ファルク
- 一九二六年生まれ。フランクフルトのカフェ・ファルクを営んだ家の息子で、後年の人物史に家業の黒い森トルテの記憶が記される。
- カール・ケラー
- ヨーゼフの息子で菓子職人。父の没後、一九八二年の取材で一九一五年創作説を語った。
- 寒天
- 海藻由来の凝固材料。ケラー家に伝わるルセットではサワーチェリーを留めるために使う。
- ヨーゼフ・ケラー
- ドイツの菓子職人。このトルテの一九一五年創作説と結びつく人物で、その説は後年の研究で再検討されている。
- ボレンフート
- 黒い森の一部の村の女性の衣装に使う、大きな毛糸飾りの帽子。
- ミミ・シェラトン
- 一九六三年刊『The German Cookbook』の著者で、ヘレンアルプのカフェ・ハルツァーのトルテのルセットを紹介した。
- ヴァルター・ポガニエッツ
- ドイツの製菓博物館の創設者。戦中のホイップクリーム不足と、戦後の黒い森トルテの需要を取材で語った。
- アドルフ・ヘックマン
- 職業教本『若き菓子職人(Der junge Konditor)』の著者。1949年版で黒い森トルテを扱ったと専門家取材で紹介される。
- クラウス・シェーファー
- カフェ・シェーファーの職人。一九五〇〜六〇年代の観光と黒い森トルテの人気を取材で語った。
- クラウス・リムベルク
- ニューヨークのレストラン、タバーン・オン・ザ・グリーンの菓子職人。1964年の百貨店の実演広告に登場する。







