Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

ズッパ・イングレーゼ
Zuppa inglese
赤く染まる生地に、卵とカカオのクリームを重ねる
デザート / イタリア

赤い酒を含む生地、黄色いカスタード、カカオの茶色。ズッパ・イングレーゼは、スポンジやビスケットを酒で湿らせ、クリームと重ねるイタリアのデザートです。「イギリスのスープ」という名を持ちながら、温かい汁物ではありません。型から返す一台にも、器からすくう柔らかな層にもなり、食べる形に合わせてクリームの濃度が変わります。
浸したパンの名に、「イギリス」が付くまで
名の前半 zuppa には、パンを液へ浸す意味の履歴があります。イタリア語辞典トレッカーニが語源に挙げるゲルマン語系の suppa は「浸したパンの一切れ」。現在の語義にも、パンやビスケットを乳、酒、スープへ浸す用法があります。生地へ液を含ませる作業は、この菓子の名と製法をつなぎます。
一方、「イギリスの」という inglese には、異なる物語が伝わります。十六世紀の説では、英国の外交官がトライフルをフェラーラのエステ家の宮廷へ伝え、現地でパン状の土台を柔らかな輪形の菓子へ、さらにスポンジやクリームへ替えたとされます。
別の話の舞台は、十九世紀後半のフィエーゾレの英国人家庭。家政婦が余ったビスケットへ甘いワインを含ませ、カスタードとチョコレートのプディングを重ねたという筋です。宮廷の模倣と家庭の使い切りという違いがありますが、両説を比べた食文化研究者ジョヴァンニ・バッラリーニは、どちらにも確かな文書がないと指摘しています。発明地や命名の出来事は、今も一つに定まりません。
ラムのビスケットから、赤と白の酒へ
十九世紀前半には、具体的な配合が料理書に現れます。パルマの宮廷で働いたヴィンチェンツォ・アニョレッティが一八三〇年代に記したのは、マランゴーネと呼ぶ菓子をもとに、ビスケットをラムへ浸すルセット(材料の配合と作り方)があります。上はメレンゲ、クリーム、卵の甘煮、あるいはジャムなどで仕上げます。
赤いアルケルメスと二色のカスタードが、最初から不可欠だったわけではありません。バッラリーニは、英国海軍と関係の深いラムこそが「イギリス」の名の手掛かりではないかと考えています。
後のペッレグリーノ・アルトゥージの料理書では、赤いアルケルメスと白いロゾリオへ浸したサヴォイアルディを交互に並べる工夫が書かれます。底には好みで、あんず、桃、マルメロなどの保存食を置き、クリームと酒のビスケットを重ねます。今日広く知られる赤・黄・茶の層へ至るまでにも、酒と中身の組合せには変化がありました。
型から返すための、クリームの濃度
アルトゥージのクリームは、牛乳、卵黄、砂糖、粉またはでんぷん、バニラで作ります。トスカーナになじみのある、粉を加えず流動的に仕上げるクリームでは、型の菓子を支えにくいというのが理由です。
酒の量にも加減があります。ビスケットを浸しすぎれば液を吐き出すため、含ませる量を見ます。酒が甘すぎる時はラムやコニャックで調整し、果実の保存食を火で緩めた場合も冷ましてから型へ置きます。夏は氷で冷やし、返す直前に型を一瞬湯へつけ、あらかじめ塗ったバターを緩める。液の出入りと型離れまで考えた組立てです。
現代の器盛りは、もう少し柔らかい濃度も選べます。大きな器から取り分ける型や、一人分の透明なグラスへ層を見せる型なら、器自体が中身を支えます。スポンジのパン・ディ・スパーニャと乾いたサヴォイアルディでは、液を含んだ後に残るきめも異なります。
アルケルメスは香辛料を含む赤いリキュールで、シロップで薄める型もあります。卵のクリームへ加わるのは色だけでなく香りです。クリームの一部をカカオやチョコレートで茶色くすれば、甘い乳の層に苦味の層が重なります。エミリア・ロマーニャで親しまれ、トスカーナなどにも別の型が残る菓子は、濃度、色、器の選び方によって姿を変えます。
ロマーニャの生地を浸す、小さなグラス
酒を含ませる土台には、地元の焼き菓子も使われます。ロマーニャのチャムベッラを選ぶ型では、卵の泡で膨らむスポンジに代え、小麦粉、糖、バター、卵、乳、膨張剤で作る生地を焼いてから使います。製菓用乳製品を扱うデビックのルセットは、この焼き菓子をアルケルメスへ浸し、二色のクリームとグラスに重ねる小さな一人分です。
クリームはコーヒー豆、バニラ、レモンの皮で香りを付けた乳のクリームを、卵黄、糖、粉とでんぷんで炊きます。冷やして休ませ、再び泡立ててから二分し、一方へカカオを加えます。上には同じ酒を含むチャムベッラの崩した粒も飾ります。生地の切片と粒を使い分け、故郷の素朴な焼き菓子を、器で支える層へ組み替えた型です。
日曜の食卓から、モデナの食堂へ
モデナ近郊スピランベルトの食堂ラ・ブーザでは、店主シモーネ・グエッリが、父方の祖母が毎週日曜に作った菓子として語ります。店ではレモン風味の卵黄クリームと、卵を使わないカカオのクリームを別に炊き、温かいうちに、アルケルメスを含むサヴォイアルディの器へ重ねます。
翌日以降のおやつとして食べた思い出とともに、客が料理店の仕事ぶりを見る一品でもあるといいます。古い料理書の型抜きとは別に、家庭の記憶を店の一皿へ引き継いだ姿です。
日本で組み直された酒と色
日本へ紹介されたルセットには、手に入る材料に合わせた工夫があります。料理人カルミネ・コッツォリーノが一九九八年のテレビ番組で示したのは、アルケルメスの代わりに、柑橘のリキュール、キルシュ、ブランデー、グレナデン・シロップを水で合わせる方法でした。赤い色とともに、複数の酒で香りも組み直します。
明治の家庭向けの型は、市販のスポンジへキルシュとグレナデンの液を含ませ、クリームの間に刻んだチョコレートを散らすものです。カカオ入りクリームを別鍋で炊く代わりに、小さなチョコレートで味を加えます。子ども向けには液をオレンジジュースへ替える提案もあり、酒を利かせた古い型から、家族で分ける菓子へ展開しています。
用語解説
- アルケルメス
- 赤い色と香辛料の香りを持つリキュール。
- サヴォイアルディ
- 卵の泡で作る棒状の乾いたビスケット。
- ロゾリオ
- 花や果実などで香りをつける甘いリキュールの系統。
- ペッレグリーノ・アルトゥージ
- 十九世紀末から二十世紀初めに料理書をまとめたイタリアの著述家。
- トライフル
- スポンジ、酒、クリームなどを重ねる英国のデザート。
- パン・ディ・スパーニャ
- 卵の泡を生かして焼くイタリアのスポンジ。
- ヴィンチェンツォ・アニョレッティ
- 十九世紀前半にパルマ宮廷などで働いた料理人・製菓の著者。
- ジョヴァンニ・バッラリーニ
- イタリアの食文化史を研究する著者。ズッパ・イングレーゼの起源伝承と古いルセットを論じた。
- チャムベッラ・ロマニョーラ
- ロマーニャ地方の、粉・糖・油脂・卵などで作る焼き菓子。輪の穴を持たない型もあり、酒へ浸して使える。
- マランゴーネ
- アニョレッティがズッパ・イングレーゼの作り方の参照元とした菓子名。
- カルミネ・コッツォリーノ
- 日本でイタリア料理を伝える料理人。1998年の番組では、複数の酒と赤いシロップを合わせる配合を示した。
- シモーネ・グエッリ
- モデナ県スピランベルトの食堂ラ・ブーザの店主。菓子の配合と家族の記憶を取材で語った。
- グレナデン・シロップ
- カクテルや菓子に色と甘みを加える赤いシロップ。







