Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

ピカロネス
Picarones
かぼちゃとさつまいもの生地に黒い蜜
揚げ菓子 / ペルー

濡らした指で柔らかな生地に穴を開け、そのまま油へ入れて輪を揚げます。ピカロネスは、かぼちゃなどを小麦粉へ練り込み、チャンカカの蜜と食べる菓子です。ペルーではさつまいもも使い、リマの街角や祭りに親しまれます。チリの輪にもかぼちゃが入りますが、生地の膨らませ方と蜜の含ませ方は同じではありません。
揚げる粉生地に、土地の芋とかぼちゃを合わせる
ピカロネスは、スペインのブニュエロに連なる揚げ菓子の技法と、土地のカモテやサパージョが交わった菓子と考えられています。先住民の食にあったさつまいもとかぼちゃへ、植民地期に広がる小麦粉と糖が加わりました。野菜の水分を含む柔らかな粉生地を発酵させて揚げ、サトウキビの蜜をかける構成は、材料と技法の組合せを変えたものです。
ブニュエロという名は、土地ごとに異なる揚げ生地を包む広い呼び名です。1790年代のリマの詩でもピカロネスがブニュエロとして説明されており、両者を無関係な菓子へ分けるより、呼称と配合が変わる近縁のものとして読むことができます。安い代用品を一人が発明したとする話に限らず、アフリカ系の女性たちの製造と街頭販売が、地域の菓子を育ててきました。
野菜のピュレを粉へ練り、煮汁を戻す
ペルーの発酵生地には、カモテと呼ばれるさつまいも、サパージョと呼ばれるかぼちゃを使います。柔らかく煮てつぶし、小麦粉、酵母、アニスなどと合わせます。野菜を角切りの具として包むのではなく、生地そのものへ練り込むため、切り口にも淡い黄橙色が現れます。
煮汁も生地をまとめる水分として使われます。ピュレの水分や粉の吸水は一定ではなく、手で取って輪を作れる、柔らかな状態へ整えます。野菜だけで小麦粉を置き換えるものではなく、粉の骨格へ野菜の水分と風味を加える配合です。
酵母を加えた生地は、暖かい場所で休ませて気泡を含ませます。煮汁で酵母を起こしてからピュレと粉を合わせる方法もあれば、粉と野菜を混ぜてから長く発酵させる方法もあります。気泡を含む生地を、揚げる直前に手で輪へ整えます。
型で抜かず、油のそばで一つずつ輪にする
成形は、濡らした手で柔らかな生地を取り、指で中央に穴を開けて油へ入れる方法が代表的です。塩を入れた水で指を湿らせ、生地が付くのを抑える工夫もあります。しっかりした生地を延ばして型抜きするドーナツとは異なり、油のそばで一つずつ輪を作ります。
表面を香ばしく揚げ、棒などで引き上げて油を切ります。輪郭の小さな凹凸や、細い部分と厚い部分には手成形の違いが残ります。外側は歯切れがあり、内部は野菜と発酵の気泡を含む柔らかな生地です。
生地のアニスと、別に煮る含蜜糖の香り
上からかける「蜜」は、蜂蜜そのものではなく、サトウキビの含蜜糖であるチャンカカを煮溶かしたものです。水で溶かしてこし、シナモン、クローブ、アニス、オレンジ、イチジクの葉などで香りを重ねます。果汁や、マルメロ、リンゴ、パイナップルを加える配合もあります。
生地のアニスと、含蜜糖のシロップに煮出した香辛料は、別々に準備されて食べるときに重なります。料理家セシリア・トゥパックの配合では、蜜にオレンジ果汁、イチジクの葉、シナモン、クローブ、アニスを組み合わせています。揚げた輪と蜜を一組として仕上げる菓子です。
絵に描かれ、行列で売られた輪
ピカロネスを作って売る女性は、ピカロネラと呼ばれます。19世紀の画家パンチョ・フィエロの作品にも製菓の姿が描かれ、その後も歌や詩に、菓子を売る女性の声が残されました。アフリカ系ペルー人の料理人たちが受け継いだ菓子としても知られ、リマのセニョール・デ・ロス・ミラグロスの宗教行列などで振る舞われてきました。
街角では、串焼きのアンティクーチョを食べた後の甘味としても親しまれています。ミラフローレスのケネディ公園周辺は、ほかのリマの甘味とともにピカロネスが売られる場所の一つです。揚げて蜜をかける仕事と、できたてを受け取る人の距離が近い屋台菓子です。
リマの風刺詩、サンティアゴの広場
エステバン・テラリャ・イ・ランダがシモン・アヤンケの筆名で書いた『リマの内と外』は、1797年に刊行されました。一七九八年のデジタル版の「休息十五・ロマンセ十六」には、ピカロネスをブニュエロという揚げ菓子として説明し、それよりずるい男たちもいるとからかう言葉遊びがあります。十八世紀末には、リマでこの菓子名が使われていました。
ホセ・サピオラの回想にも、サンティアゴのアルマス広場で、モテやウエシージョとともに売る人々が登場します。1872年から書き始めた、1810〜1840年の町の回想です。芋やかぼちゃの分量までは語りませんが、揚げ菓子を受け取る人々と売り手のいた場所が、リマとサンティアゴの両方に描かれています。
ロサリアが語る熱さと、移動の物語
フスト・アベル・ロサレスの『黒人女性ロサリア、あるいはピカロネスのクラブ』(一八九六年)では、リマの橋のそばで菓子を売るロサリアが、熱いと口を焼くいたずら者、ぬるいと甘く優しいからピカロネスだと兵士へ語ります。スペイン語 pícaro「いたずら者」と熱い輪を重ねる、会話の中の由来話です。
同書の彼女はアコンカグアの谷で生まれ、三、四歳でチリからリマへ来て、別の黒人女性の仕事を手伝い技術を磨きます。ペドロ・オリボスと結婚し、一八二三年に軍とチリへ戻る計画を立てた後、サンティアゴのサン・パブロ通りへ住み、一八二七年か一八二八年に旧郵便局の角へ店を移したと続きます。
ロサレスは、兵士や独立運動の指導者サン・マルティンとの会話も交え、二つの土地を行き来する売り手を描きました。19世紀末に語り直されたこの物語とは別に、サピオラも早い時期のサンティアゴの売場を回想しています。チリへの伝来をロサリア一人の仕事と定めることはできませんが、彼女の物語は、軍と人々の移動に重なる菓子の来歴として残っています。
チリで蜜を十分含ませるパサドス
チリの型には、かぼちゃのピュレ、小麦粉、牛乳を合わせるものがあります。膨らませ方は酵母に限られず、ベーキングパウダーを使う型もあり、レモンやオレンジの皮で香りを付けます。湿らせた手で輪を作るほか、ピカロネラと呼ばれる専用の型を使う方法もあります。
チャンカカのソースには柑橘の皮やクローブを加え、少量のでんぷんでとろみを付ける型があります。熱い蜜をかけてすぐに食べる仕立てに加え、揚げた輪をソースへ入れ、しばらく置いて十分含ませる「パサドス」の仕立ても作られます。ペルーのさつまいも入りの輪と、チリのかぼちゃを主にする輪は、材料と蜜の受け止め方にそれぞれの特徴を持っています。
母から習った手を、次の売り手へ伝える
今もピカロネスは、人から手仕事を習う菓子です。カニェテ県サン・ルイスで作るエウフェミア・アンティアロン・キスペは、母エバリスタを15歳から手伝い、20歳頃には自分でも作れるようになったと語っています。2026年の公的機関の取材では、芋とかぼちゃを茹で、アニスを加え、生地の状態を重視してこねる姿が記録されました。
イチジクの葉が香る蜜とともに、午後の広場で揚げたてを売る一方、孫娘や地域の学校の子どもたちにも作り方を教えています。輪へ穴を開ける指と、生地を見極める手は、昔の売り声の記録だけでなく、今日の教える仕事の中でも受け継がれています。
用語解説
- ブニュエロ
- 粉生地を油で揚げる菓子の広い呼称。地域によって材料と形が異なる。
- ピカロネラ
- ピカロネスを作り売る女性。チリでは、輪を作る専用型の名としても使う。
- エステバン・テラリャ・イ・ランダ/シモン・アヤンケ
- 18世紀末のリマを風刺した著者とその筆名。
- ホセ・サピオラ
- 19世紀チリの音楽家・回想記著者。サンティアゴの町の暮らしを記した。
- フスト・アベル・ロサレス
- 19世紀末チリの著者。ロサリアの菓子商売と移動を歴史物語として描いた。
- ロサリア/ペドロ・オリボス
- ロサレスの物語の中心になる菓子の売り手と夫。出生・結婚・チリへの移動が語られる。
- ホセ・デ・サン・マルティン
- 南米の独立運動を率いた人物。ロサレスの菓子の物語にも登場する。
- エウフェミア/エバリスタ・キスペ
- カニェテ県サン・ルイスのピカロネスの作り手と、その母。2026年の取材で母娘の技の継承が語られた。
- チャンカカ
- サトウキビの汁を煮詰めた含蜜糖。蜜やソースの原料になる。
- カモテ
- スペイン語でさつまいも。
- サパージョ
- 南米でかぼちゃ類を指す呼称。
- セシリア・トゥパック
- ペルー料理や菓子の作り方を伝える料理家。
- パンチョ・フィエロ
- 19世紀ペルーの画家。街の人々や風俗を水彩画に描いた。
- セニョール・デ・ロス・ミラグロス
- 「奇跡の主」を意味する、リマのキリスト像とそれをめぐる信仰・行列。
- アンティクーチョ
- 肉などを串に刺して焼くペルーの料理。
- ベーキングパウダー
- 生地の中で気体を発生させ、膨らませる膨張剤。
- パサドス
- 菓子などを蜜に通したり、蜜を含ませたりした仕立てを表す語。







