Sweetlore世界のお菓子図鑑(534)

ピシュマニエ
Pişmaniye
糖の糸へ、炒り粉と油脂を合わせる
砂糖菓子 / トルコ・イズミットなど

ピシュマニエ(Pişmaniye)は、小麦粉と油脂を炒めたものを、煮詰めた糖へ合わせ、細い糸の束に仕上げるトルコの菓子である。白い綿のように見えるが、かむと糸がほどけ、炒った粉とバターの風味が残る。溶かした砂糖を遠心力で飛ばす綿菓子とは、材料も工程も異なる。

束の外側にも細い糖の糸がほどけて見えるピシュマニエ。 写真:出典、Basak、CC BY-SA 4.0。画像の改変なし(配信元の縮小版)。
糖を引く作業に、炒り粉を合わせる
ピシュマニエでは、糖の生地と粉の生地を別々に用意する。砂糖、水、少量のクエン酸を加熱して煮詰め、扱える程度まで冷ましてから引く。一方、小麦粉はバターなどの油脂と炒め、こちらも手で作業できる温度まで冷ます。熱い糖と冷たい粉をただ混ぜるのではなく、両方の状態をそろえてから、引き延ばす作業へ移る。
アンカラ地方のクルクブユク(Kırkbıyık)と呼ぶものでは、糖を大理石の上へ流し、輪にしながら引いて白くする。次に、大きな盆へ用意した粉の周囲に糖の輪を置き、回して引き、折り重ねる。この作業を重ねるほど細かな糸が増える。2、3人で協力して行う方法が記録されており、同じ動作を繰り返すだけでなく、輪の太さや引き具合をそろえる手仕事が要る。
砂糖の塊を細く引くたび、表面には油脂を含む炒り粉が入る。粉と油脂を取り込ませながら、何本もの細い束へ分けていく。仕上げには長い束を切り、2つに折ってねじる作り方もある。ふわりと盛ったもの、短くまとめたものは、糸を作り終えた後の成形も異なる。
詩に現れる名、料理書に残る手順
繊維状の甘味は、ペルシアとアナトリアの古い食文化にも現れる。ペルシアの詩人ブスハーク(Bushak、別名アブー・イスハーク)には食べ物を詠む作品があり、その中に、パシュマクのハルワを自分の仕事場で食べる、という句がある。綿をほぐす職人を表す職業名ハッラージュと、綿に似た菓子が重なった戯れである。詩が伝えるのは菓子の名と食べる楽しみで、材料や引き方を記したルセット(材料の配合と作り方)ではない。
15世紀の医師シルヴァーニー(Şirvani)の料理書には、ヘルワ・ユ・ピシュメニ(Helva-yı pişmeni)という項目がある。文献研究者ギュナイ・クトが示した該当箇所は、写本の117葉裏である。食文化史研究者プリシラ・メアリー・ウシュン(Priscilla Mary Işın)は、この料理書を糸状ヘルワの古い製法記録として位置付けている。イズミットで土産菓子となるより前から、菓子名とその作り方が書物に収められていた。
具体的な引き方は、1900年刊のマフムド・ネディム・ビン・トスン『アシュチュバシュ(Aşçıbaşı)』にも詳しい。粉を澄ましバターで炒り、別鍋で砂糖を水と煮て、レモンを使って調える。糖液を水へ落とし、伸びる状態か確かめてから、油を塗った盆へ流す。少し冷めた糖を何度か引き、大きな輪にして炒り粉をまぶす。複数の手で輪を回して広げ、粉を少しずつ足すと、やがて細い糸へ分かれていく。同書は、このテル・ヘルワをバイブルトの名物として挙げている。
蜂蜜の輪と、押し固めるヘルワ
アナトリアの糸状ヘルワには、糖の材料や仕上げを変える作り方もある。アランヤのキュリュク・ヘルワス(Külük Helvası)は、蜂蜜を煮詰めて輪を作る。粉とバターは別鍋で色を濃くしすぎないよう炒り、蜂蜜の輪へまぶす。輪を大きく引いたら八の字にひねって折り重ね、再び引く。粉を取り込ませながらこれを繰り返し、細くなった束を手でちぎり、棒状へ握って仕上げる。市の郷土料理書に載るのは、小麦粉、蜂蜜、バターの3種類の材料である。
黒海地方カスタモヌのチェクメ・ヘルワ(çekme helva)は、引き終えた後の加工に特色がある。炒り粉と油脂を合わせたミヤネ(miyane)を糖へ取り込ませた後、できたヘルワをさらに細かくし、盆へ詰めて圧縮し、四角や菱形、円筒形などに整える。見た目は密に固まっていても、かむとほろほろ崩れる。糸をふわりと盛るものとの違いは、引く工程の有無ではなく、引いた後に砕き、押して形を与える点にある。
カスタモヌの地理的表示の仕様書は、ミヤネと白く引いた糖の温度を近づけ、均一に混ぜる手加減を重視する。糖と粉の状態が合わなければ、滑らかな組織にならない。また湿気を吸うと、崩れる食感を失って硬く、やがて粘るようになる。乾燥した状態を保つことも、作り上げた糸の食感を守る仕事なのである。
糸状ヘルワを皆で引く作業は、冬の集まりの楽しみにもなった。ウシュンが記録するシヴァスやアフィヨンカラヒサルの例では、盆を囲んで菓子を作る間に、なぞなぞや歌、会話が続く。完成品を分ける前に、作る時間そのものを客と共有する菓子だった。
イズミットの菓子になった道筋
ピシュマニエはアナトリアの各地にあるが、マルマラ海東端のイズミットが名産地としてよく知られる。旅人に箱入りを売る姿は、街の土産の風景になってきた。
コジャエリに伝わる職人の系譜では、カンドゥラ出身のハイリ・ウスタが初期の名人として挙げられる。商業生産を進めたのは、彼に学んだアルメニア人菓子職人ハジュ・アゴプである。さらに、その息子へトルコ語を教えるため店へ通っていたイブラヒム・チュナルが製法を覚え、退職後に専業で作り、イズミットでの普及を担ったと語られる。これは当地に残る製造と普及の系譜であり、菓子全体の発明者を決める物語ではない。
「イズミット・ピシュマニエシ(İzmit Pişmaniyesi)」は、トルコの地理的表示に登録されている。登録簿にある登録日は2002年5月21日、番号は34。地名を冠した製品の登録と、各地に広がるピシュマニエという菓子の歴史は、別の時間軸を持つ。
羊毛に似た名と、後悔を語る言葉遊び
コジャエリの伝承は、菓子の系統をペルシアのペシュメクに結び付ける。ペルシア語のパシュマク(pashmak)は、羊毛のような姿を表す名として知られる。『デフホダー辞典』は、パシュマクを羊毛を意味する語の縮小形とし、何度も引いて毛や羊毛のように作る、白い糸に分かれる甘いものという意味も載せる。姿だけの後世の比喩ではなく、語の形と食品の意味が辞書の中で結び付いている。
現在のトルコ語協会の辞書は、ピシュマニエの語源をペルシア語のペシーマーン(peşimān)とアラビア語の接尾辞に結び付けている。羊毛の名を持つペルシアの菓子との関係や、現代トルコ語名の形態の説明については、辞書や伝承によって見方が異なる。
トルコ語の「後悔」を連想させる音から、作る人も作らない人も後悔する、買っても買わなくても後悔する、という言葉遊びがある。手間をかけても引き方を失敗すれば全体を損ねる難しさと、旅先で買いそびれる惜しさを、同じ語へ重ねたものだ。作り方の難しさを伝える軽口としては生きているが、言葉遊びそのものを名の成立の証明にはできない。
テル・ヘルワ(tel helva)は糸、チェクメ・ヘルワは引く作業に結び付く名である。多様な呼び名にも、細く分かれた姿と、それを作る手仕事が表れている。
用語解説
- ピシュマニエ(Pişmaniye)
- 炒った粉と油脂を引き糖へ合わせ、細い糸にするトルコの菓子。
- クルクブユク(Kırkbıyık)
- アンカラ地方のピシュマニエの呼び名。
- ハイリ・ウスタ
- コジャエリの伝承で初期の製造名人とされる職人。
- ハジュ・アゴプ
- 当地の商業生産を進めたと伝わるアルメニア人菓子職人。
- イブラヒム・チュナル
- アゴプの店で製法を学び、退職後にイズミットでの普及を担ったと伝わる人物。
- イズミット・ピシュマニエシ(İzmit Pişmaniyesi)
- イズミットの地名を冠する登録名称。
- パシュマク(pashmak)
- ペルシアの繊維状糖菓の名。羊毛に似るという意味に結び付く。
- テル・ヘルワ(tel helva)
- 糸に結び付く呼び名。
- チェクメ・ヘルワ(çekme helva)
- 引く作業に結び付く呼び名。
- ペシーマーン(peşimān)
- トルコ語協会の辞書がピシュマニエの語源欄で挙げるペルシア語形。後悔に結び付く語。
- ブスハーク(Bushak)
- アブー・イスハークとも呼ばれるペルシアの詩人。料理を題材にした諧謔詩を残す。
- シルヴァーニー(Şirvani)
- 15世紀の医師。料理書にヘルワ・ユ・ピシュメニの項目がある。
- ヘルワ・ユ・ピシュメニ(Helva-yı pişmeni)
- シルヴァーニーの料理書に記録された菓子名。
- ギュナイ・クト
- シルヴァーニー料理書の追加料理を研究した文献研究者。
- プリシラ・メアリー・ウシュン(Priscilla Mary Işın)
- オスマン朝とトルコの食文化史を研究する著述家。
- アシュチュバシュ(Aşçıbaşı)
- マフムド・ネディム・ビン・トスンの1900年刊料理書。
- キュリュク・ヘルワス(Külük Helvası)
- アランヤに伝わる、蜂蜜を引いて粉とバターを取り込ませる糸状菓子。
- ミヤネ(miyane)
- カスタモヌのチェクメ・ヘルワでは、粉と油脂を加熱して用意する部分。
- マフムド・ネディム・ビン・トスン
- テル・ヘルワを含む料理書『アシュチュバシュ』を1900年に刊行した軍人。
- ハッラージュ
- 綿をほぐす職人を表す職業名。詩人ブスハークの呼称にも用いられる。
- ルセット
- 材料の配合と作り方の一式。







