Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

エンガディナー・ヌストルテ
Engadiner Nusstorte
くるみとキャラメルを、ほろりとした蓋で丸ごと包む
タルト / スイス・エンガディン

くるみをキャラメルでまとめ、ほろりとした皮で底も側面も蓋も包みます。グラウビュンデン州を代表するエンガディナー・ヌストルテは、ビュンドナー・ヌストルテとも呼ばれる菓子です。高い谷の名が付く一方、原料のくるみと製法は、故郷の外からもたらされました。全周を囲む皮に、国外で働く職人の来歴が重なっています。
くるみの芯を、底と蓋で閉じる
外皮は小麦粉、バター、砂糖、卵、少量の塩をまとめるムルプタイクです。長くこね続けず手早くまとめて冷やし、伸ばして型へ沿わせます。生地の三分の二ほどを底と側面に使い、残りを蓋に回す作り方があります。
中身を入れたら蓋を重ね、縁を押さえて閉じ、上面へフォークで穴を開けます。皮の厚さ、型の深さ、焼成条件には配合や工程の差がありますが、くるみの核を全周から包む構造は共通します。南西フランスのタルト・オ・ノワと比べたときも、この蓋が特徴となります。
硬い飴にせず、噛み切れる濃度へ
砂糖を色づくまで加熱し、生クリームと粗く刻んだくるみを合わせて中身を作ります。砂糖だけの硬い飴へナッツを閉じ込めるのでなく、乳の水分と脂肪を加え、切り分けて噛み切れる濃度に整えます。砂糖を強く焦がせば苦みが出るため、色づきと香りを見ながら進めます。
蜂蜜を先に温めて砂糖とキャラメル化し、火から外して生クリーム、くるみの順に入れるルセット(材料の配合と作り方)があります。一方、砂糖を色づけてからくるみを短く炒り、クリームを加えて糖が溶けてから蜂蜜を入れる方法もあります。蜂蜜の有無だけでなく、くるみを直接糖と炒るかどうかにも違いがあります。
地元のバター生地に、くるみを包む
エンガディンには、フアチャ・グラッサというバターを使う甘い焼き菓子があり、一七七三年のロマンシュ語の文献にも名が現れます。ヌストルテの皮はこれに似た生地で、バターをやや少なく使うものです。南フランスで働いた職人が出会ったくるみ菓子と、故郷の甘い生地の双方が、現在の一台の成り立ちを考える手掛かりになります。単に外国の菓子を同じ形で移した、というだけでは説明しきれない組合せです。
輸入した実と、州内の小さな収穫
エンガディンの高い谷は、くるみの栽培に向く温暖な土地ではありません。菓子の名は、原料の自生地より職人の故郷と結び付いています。長く輸入くるみが使われ、近年も国外の原料が大きな割合を占めています。
ただし、グラウビュンデン州のどこでもくるみが育たないわけではありません。州内のマランスなどでは栽培と加工を拡大する取り組みがあり、地元産を使う菓子店もあります。2022年の公共放送による生産者・製菓店への取材では、輸入品より高価で供給量も限られ、地元産は小さな市場にとどまると報告されています。
トゥールーズからサメーダンへ
スイスの食文化遺産資料によれば、トゥールーズのハインツ&テスターは一八八一年からキャラメル入りのくるみ菓子を作り、そこで働いたファウスト・プルトが一九二六年、サメーダンで売り始めました。国外で働くグラウビュンデンの職人が、技術を故郷へ持ち帰った一つの経路です。
ただし、最初に作った人と大きく売った人は、同じとは限りません。孫ファドリ・プルトは祖父の役割を大規模販売とし、菓子自体の発明は主張していません。歴史家ドルフ・カイザーは祖先のトゥールーズの店に、クールのリビ家は州内でプルトに先立つ自家の販売に、それぞれ来歴を求めています。二〇一三年の取材にも残る家々の記憶は、一人の発明者へはまとまりません。
一九三四年のバーゼル見本市でプルトが広く紹介したという話も、後年の解説に伝わります。発明、習得、地方での販売、拡販は、異なる人や時期の来歴を持っています。
一九五〇年代後半から、州を越える土産へ
州の境を越えて大きく広がるのは、一九五〇年代の後半からでした。一九六八年には、甘い輸出商品として紹介されています。エンガディンで買った旅人が低地へ持ち帰り、夏にも冬にも観光客へ売られる一台は、やがてスイス各地の小売店にも並びます。
土地の製パン業者にとって旅行客へ売る代表的な商品となる一方、地元では家庭で自分好みに焼く人もいます。店の土産と家庭の一台が並び立つことで、キャラメルの乳味を好むか、くるみの濃い香りを好むかという配合の違いも残ります。
午後に切る一片と、別のエンガディナー
くるみ、キャラメル、バターが詰まった一台は、冷めて中身が落ち着いてから小さな扇形に切り、コーヒーや茶に添えます。季節を問わず作られ、皮で包まれた日持ちのよさから、旅の土産としても親しまれてきました。
同じ地方名を持つエンガディナー・トルテは別の菓子です。薄い生地とバニラのバタークリームを重ね、フロランタンの蓋を載せる層菓子で、キャラメルくるみを一つの皮へ閉じ込めるヌストルテとは構成が異なります。
用語解説
- ムルプタイク
- 小麦粉と油脂、砂糖などを手早くまとめる、ほろりと崩れるドイツ語圏の生地。
- ビュンドナー
- グラウビュンデン州の、という意味。エンガディンは同州にある地域です。
- フアチャ・グラッサ
- エンガディンのバターを使う伝統的な甘い焼き菓子。ヌストルテの皮との近さが指摘されています。
- ファウスト・プルト
- トゥールーズで働いた後、1926年にサメーダンでヌストルテを販売した菓子職人。
- フロランタン
- 糖や蜂蜜、生クリームにナッツや果実を合わせ、薄く焼く菓子。エンガディナー・トルテでは蓋に使われる。
- ドルフ・カイザー
- グラウビュンデンの職人移住史を調べた歴史家。ヌストルテをめぐる家族の来歴にも言及する。
- リビ家
- クールの製菓家族。プルトに先立つ州内販売の来歴を語る。
- ファドリ・プルト
- ファウストの孫。2013年の公共放送取材で、祖父は菓子全体の発明者と主張していないと説明した。







