Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

ブラ・ド・ヴェニュス
Bras de Vénus
柔らかな生地でカスタードを巻く、カタルーニャの菓子
ケーキ / フランス・ルシヨン

薄く焼いた卵の生地が、柔らかなクリームを一周して包みます。ブラ・ド・ヴェニュスは、フランスのピレネー・オリアンタルからスペイン側のカタルーニャにつながる巻き菓子です。カスタードを包んで粉糖を振る南仏の姿のほか、生クリームや焦がした卵黄の仕上げもあり、栗を使う変奏も作られます。同じ円筒の中で、薄い生地がどのクリームを受けるかが土地の違いになります。
巻くために、乾かしすぎずに焼く
土台は、卵の泡を使う柔らかなビスキュイです。卵黄と砂糖を混ぜて粉を加え、別に泡立てた卵白を合わせるルセット(材料の配合と作り方)では、生地へ空気を取り込みながら、均一な厚みで天板に広げます。薄いため、厚いケーキより短く焼きます。
縁まで乾かしすぎず、曲げられる柔軟さを残すことが大切です。焼いた生地を湿った布の上へ返すと、布を支えにして巻き進められます。一か所だけにクリームを厚く盛らず、面へ均一に広げると、外へ押し出しすぎずに層を整えられます。
カスタードと生地へ、別々に香りを入れる
代表的な詰め物は、乳、卵、砂糖、粉やでんぷんを加熱するカスタードです。バニラを香らせ、レモンの皮やラム酒を加えるものもあります。生地にグラン・マルニエを含ませ、少し休ませてからバニラクリームを塗る方法では、オレンジのリキュールが生地の香りを作ります。
クレーム・カタラーヌを詰める型も紹介されています。同じ巻き菓子でも、クリームの選び方によって、乳と卵の味に重なる香りが変わります。
日曜の菓子店から、祭日の景品へ
カタルーニャでは、薄いスポンジにクリームや生クリーム、トリュフを巻いた菓子を、日曜や普段の祝いに菓子店で買う習慣があります。二十世紀後半には、手に取りやすい菓子として週末の卓に広がりました。二〇二五年にはバルセロナ、ジローナ、リェイダ、タラゴナの製菓組合が、この巻き菓子を地域の象徴的なデザートに選びました。南仏でも bras de Vénus は家庭の祝いの日に食べる菓子として記録されています。
カタルーニャの二月五日、聖アガタの日の菓子にも、クリームを巻いた braç de gitano が挙がります。この日は女性と鐘撞きの守護聖人を祝う日で、女性たちが男装し、篝火や踊り、鐘とともに一日を過ごした習俗も伝わります。週末の菓子店だけでなく、女性を主役にする祭日の食卓にも巻き菓子が登場します。
二〇一二年には、カタルーニャのエルス・アルクス村で約三十人の女性が聖アガタを祝う夕食に集まり、コカやピザとともに braç de gitano を囲みました。食後は村の踊りへ向かっています。祭日は二月五日ですが、この村の会食は同月十一日の土曜でした。菓子は日付どおりの儀礼食に限らず、女性たちが集まる席で分ける一皿にもなっています。
巻き菓子は分け合うデザートであると同時に、人を集める景品にもなります。カタルーニャのエル・ソレラスでは、諸聖人の日の寄付品の競売(Encant)に二本の braç de gitano を用意し、一方を競り、もう一方は最後にくじの景品にする習わしがありました。二十年以上、競売の声を担当したラモン・エスプニャは、集まったお金が教会の維持や聖体灯の油に使われたと振り返ります。離れた場所の入札者が競り合い、普段の売値を超える金額で菓子を買うことが、共同体への寄付にもなっていました。
スペインのアラゴン州カンタビエハでも、聖アガタ祭の「トランサ」という競売に、巻き菓子やタルト、日用品が並びます。住民が持ち寄った品を、ミサの後に広場の柱廊で声を上げて競る行事で、収益は祭りの費用を支えます。女性たちの会食で切り分ける菓子と、祭りを続ける資金を集める菓子。同じ巻き菓子が、集まる人びとの間で異なる役を担います。
栗のクリームを軽くして巻く
栗を使う変奏では、単に栗のペーストを厚く巻くだけではありません。卵黄、乳、粉とでんぷんで煮たカスタードへ栗のクリームを混ぜ、冷まします。その後、泡立てた生クリームを合わせ、カスタードを軽くしたクレーム・ディプロマットの型にすると、栗の味を保ちながら柔らかな詰め物になります。
この型では、生地に軽く糖液を含ませてから栗のクリームを広げます。生地へ湿りを与える糖液と、内側の軽いクリームを別々に作って組み、最後に粉糖と栗のクリームで仕上げます。薄く焼いた生地の柔らかさが、濃い栗の風味を受け止めます。
ヴィーナスの腕、職人が運んだ腕
フランス語の bras de Vénus は「ヴィーナスの腕」で、細長く柔らかな円筒をたとえます。カタルーニャ語の braç de gitano は「ジタンの腕」。後者についてカタルーニャの製菓組合は、十九世紀のバルセロナで銅鍋を修理したジタンの職人が、菓子店から切れ端をもらい、巻いて腕に載せて運んだという伝承を紹介しています。食文化史家マルタ・マンサナレスは、菓子店と銅器職人の結びつき自体は自然でも、名の由来をその出来事とするには史料が足りないと指摘します。別の伝承では、エジプトを旅した修道女がこの巻き菓子を知ってスペインへ持ち帰り、初めは「エジプト人の腕」(braç egipcià)と呼ばれ、それが「ジタンの腕」へ変わったと語られます。古い呼称から伝播と改名を説明する物語ですが、修道女の名や旅の時期は伝わっていません。
一九〇八年のバルセロナの風刺誌には、子が父に「ジタンの腕」をねだり、父がその名のジタンを嫌って断る掛け合いが載りました。二十世紀初めに菓子名が街の会話に通じるほど親しまれていた一方、ロマの人びとへの偏見を笑いにする表現でもありました。
一九一五年の短編には、バルセロナのサンタ・カタリーナ市場の周辺で、日曜ごとにトルテイまたは braç de gitano をくじの景品にする女性が登場します。菓子を買って持ち帰る日常だけでなく、当たりを待つ楽しみまでが文学の場面になっていました。
カタルーニャの型では、別立ての薄い生地を湿った布で柔らかく保ち、泡立てた生クリームを巻きます。クリームやチョコレートのトリュフへの変更もあり、南仏のカスタード一種類に限られません。卵黄クリームを表面へ塗って焦がす職人の型では、粉糖の白さとは違う艶と苦味が加わります。
用語解説
- ビスキュイ
- 卵の泡を利用する焼き生地。ブラ・ド・ヴェニュスでは薄く柔らかく焼いて巻く。
- グラン・マルニエ
- オレンジの香りをもつフランスのリキュール。
- クレーム・カタラーヌ
- 乳と卵などで作り、通常は表面の砂糖を焦がして仕上げるカタルーニャのクリーム菓子。
- マルタ・マンサナレス
- カタルーニャの食文化史家。銅器職人をめぐる命名伝承の史実性を検討した。
- クレーム・ディプロマット
- カスタードに泡立てた生クリームなどを合わせるクリーム。ここで紹介する栗の型にも、この組み合わせを使う。
- カタルーニャ
- スペイン北東部からフランス南部にまたがる文化的地域。
- ヴィーナス
- ローマ神話の女神。フランス語名ヴェニュスが、この菓子の「腕」の名に用いられる。
- 聖アガタ
- 二月五日に祝われ、女性と鐘撞きの守護聖人とされる聖人。
- ラモン・エスプニャ・トゥルモ
- エル・ソレラスで二十年以上、諸聖人の日の寄付品競売の声を担当した住民。二〇二三年の取材で巻き菓子の競売とくじを語った。
- Encant/トランサ
- ここでは住民が寄せた品を声で競る地域の行事名。前者はエル・ソレラス、後者はカンタビエハの事例。







