Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

モンブラン
Mont Blanc
栗の細い線で山を描く、国ごとに変わる菓子
ケーキ / フランス・イタリア

栗を細い線にし、白いクリームへ重ねると、小さな山や巣のような姿が現れます。モンブランは、フランス語で「白い山」、イタリア語のモンテビアンコも同じ山を指す名です。ただし、初めから現在の小さなケーキだったわけではありません。皿に盛る栗、メレンゲを台にするパリの菓子、日本の黄色い栗と柔らかな台には、線と白い部分を置く順序の違いがあります。
裏ごしの硬さが、山を支える
柔らかく煮た栗を裏ごしし、細かな穴から押し出せば、滑らかなピュレが幾筋へ分かれます。ざるから皿へ落とす方法と、小穴の口金で巻き付ける方法では、同じ線の盛り方も違います。無加糖ピュレと、糖やバニラで炊くマロンクリームは、水分と甘さが異なり、そのまま同じ太さに絞れる材料ではありません。
加糖クリームには、皮をむくとき割れた栗を生かす製品もあります。粒が残れば穴を詰まらせ、緩すぎれば高さを保てません。飾る前の裏ごしと硬さの調整が、栗の壁や覆いを作ります。
1863年、瓶の周りに作った栗の巣
『La Mode illustrée』の1863年8月31日号の「栗の巣」は、道具の使い方まで具体的です。ゆでた栗へバニラを香らせた細かな糖を練り、皿へジャム瓶を伏せ、その周囲に粗いざるから栗を細く落とします。瓶を抜き、残った空洞に泡立てクリームを詰めます。栗は外側の壁、白いクリームは中心です。
1847年にパリの菓子店デサが考案したという説も伝わりますが、当時の構成には不明な点が残ります。一方、1863年の「栗の巣」は、栗の線で乳を囲む手順を記したルセット(材料の配合と作り方)です。名がモンブランにそろう前にも、細線と白い中身の組合せは形を得ていました。
スイスの食文化調査が紹介する1894年の料理辞典も、バニラとシロップで煮た栗を押し出して巣にし、シャンティイを詰め、タルトレットやメレンゲを添える型です。甘い栗で白を囲む巣には、焼いたタルトやメレンゲを添える型も加わっていきます。
焼いた器へ詰める、皿の輪へ盛る
ルイ・マイヤールの1892年版『La cuisine des familles』は、ヴァシュランの栗型として、内部へ栗の細線と泡立てクリームを交互に詰め、焼きメレンゲで作る方法も挙げます。栗と乳の皿盛りに加え、焼いた器の中へ重ねる考え方です。栗を焼いた器へ詰める型は、ヴァシュランの一族としても作られました。
エスコフィエ『料理の手引き』第2版の「栗のモンブラン」は、甘いバニラ牛乳で煮た栗をふるいから線へし、輪型を作ります。型を外した中央へ、甘いシャンティイを不規則に高く盛り、山の起伏を表します。名はそろっていても、メレンゲ台を必須としない皿の山です。
1913年のE・スール編『The New Practical Cookery Guide』も、二つを並べます。440ページの「Mont Blanc」は、甘い栗ピュレをティンバルの器へ入れ、岩を表すようにシャンティイで覆うもの。441ページの「Vacherin Suisse」は、甘い栗をメレンゲの輪や底板へ載せ、中央へシャンティイを置きます。同じ本でも器の栗と焼いたメレンゲの型は別名で、構造と呼称の範囲は一致しません。
パリの白い中身、スイスの細い麺
パリのアンジェリーナは、乾いたフレンチメレンゲにシャンティイを盛り、栗の線を上からかぶせます。同店が20世紀初頭から継ぐとするルセットでは、白い部分は栗の中へ隠れ、底に砕ける台が加わります。
リヴォリ通り二二六番地のこの店は、もとはランペルマイエの名を掲げていました。一九三〇年には、フォーブール・サントノレ通り九番地で、別会社のランペルマイエが茶館を設ける計画が進みます。この茶館はリヴォリのルネ・ランペルマイエの店とは別の主体で、地下階と地上一・二階の三層を使う予定でした。一九三一年十月二十日には、新サロンの開店を祝う会に数百人が集まっています。
リヴォリの店がアンジェリーナへ改称したのは一九四八年です。店の広報担当者フロランスも、二〇一二年の取材で、サントノレ側に同名の別店ができた後の改称と語っています。同じ名の二店があった時代を経て、リヴォリの店はアンジェリーナの名でモンブランを伝えていきました。
スイスの Vermicelles は「細い麺」の名で、栗を巣に押し、タルトレットやメレンゲ、ホイップと合わせる冬の皿盛りにもなります。イタリアの Montebianco は、乳で煮た栗へ糖、バニラ、酒を使い、ココア、ラム、スポンジをクリームと重ねる例もあります。覆う栗と、台や内側にする栗では、一口の順序が変わります。
アルザスは、コウノトリの巣
トルシュ・オー・マロンは「栗の松明」ですが、アルザス語の Storichenescht はコウノトリの巣。シモーヌ・モルガンターラーは、メレンゲに栗の細線を置く姿の見立てと説明し、ドッセンハイムでは Käschtenescht「栗の巣」と呼んで村祭りメスティへ供すと紹介します。山の雪だけでなく、身近な鳥の巣も栗の線の名になります。
彼女が記録する1996年5月18日のFrance 3 Alsaceの番組には、母の栗菓子を好んだ修道女マルリーズが登場しました。紹介ルセットは、パート・シュクレの底にクリームと焼きメレンゲ二枚を重ね、周りと上へ栗を絞ります。クリームは無加糖で、別添えに蜂蜜入り栗ソースも作ります。栗を線へする基本を保ちながら、甘いタルト生地、メレンゲ、無糖のクリーム、蜂蜜のソースを配する家庭の一台です。
日本の皿盛りと、1935年の店頭
岡本純の1898年『和清西洋料理法自在』の「ピレテマロンアラシャンテレ」は、裏ごし栗を糖と煮て冷まし、皿へ高く盛り、ホイップで飾ります。栗と乳の組合せは伝わっていても、モンブランの名やスポンジ台はありません。
1935年の市島謙吉『文墨余談』は、銀座コロンバンで、細い蕎麦を巻くような栗の菓子を食べ、その名を聞いたと回想します。同年6月の『製菓実験』には、本郷・紅谷の塩沢芳朗の「モンブラン」の写真もあります。1930年代半ばには、複数の店の菓子がこの名で紹介され、皿盛りから店頭の一個へ広がっていました。
自由が丘の洋菓子店モンブランは、甘露煮の黄色い栗を、柔らかなカステラ風の台へ絞り、頂のメレンゲで雪を表したと伝えます。店が目指したのは、日本で親しまれる味と、持ち帰れる一個でした。正月の栗甘露煮になじみのある客へ黄色い栗を使い、台には柔らかくしっとりした食感を求めたといいます。カステラをもとに工夫した生地なので、店は今も「スポンジ」ではなく「カステラ」と呼びます。
茶色い栗のペーストと乾いたメレンゲを底にするパリ型とは、栗の加工と台が違います。この黄色い栗と柔らかな台は、同店が自らの工夫として伝える仕立てです。「日本初」という由来譚も知られますが、戦前の他店にもモンブランの記録が残り、日本での展開は一店の物語に収まりません。
戦後の台と、東京會舘の白い山
戦後、ヨーロッパへ菓子を学びに出る職人も現れました。麻布・和泉家の長谷部新三は一九五二年七月、洋菓子研究のためフランスへ渡り、一九五六年一月の製菓専門誌には帰国が報じられています。修業先は当時の名店ランペルマイエで、そののれんを受け、ランペルマイエ和泉家として洋菓子に取り組んだと、後年の取材記事は伝えます。
一九五六年二月の『製菓製パン』に載った長谷部の「パリースタイルの洋生」では、弱火で乾燥焼きしたメレンゲと、マロンピュレ、粉糖を使うモンブランが解説されています。同号の口絵にも、長谷部のモンブランがあります。
戦後に並ぶスポンジとメレンゲは、前者が水分を受けて柔らかくなり、後者は砕けるという違いがあります。台を替えることは、外から同じ栗の山に見えても、一口をどう崩すかを替える選択でした。
一九六八年に開いた六本木のルコントでは、メレンゲとビスキュイを組み合わせ、生クリームとフランス産の栗クリームを重ねたモンブランを作りました。開店間もない店で働いた島田進が、後年の取材に応じて復刻した型です。ビスキュイへコニャックのシロップを含ませ、栗と乳の柔らかさに、焼きメレンゲの歯切れと酒の香りを合わせます。スポンジ一枚を敷く黄色い栗の型とは異なり、柔らかな生地と砕ける台の両方を一個へ収めた選択でした。
フランス語の marrons à la Chantilly は栗とシャンティイを直接指し、皿盛りにも使う語です。東京會舘は、初代製菓長の勝目清鷹が1950年ごろ日本向けに変えて「マロンシャンテリー」を発案したとします。現在の品は、栗の山を白い生クリームが包み、焼いたケーキ台を中心としません。同じ栗と白い乳を使いながら、焼いた台を囲むケーキとは、皿の上で形を保つ仕組みが異なります。
パリの店の日本での展開には、1984年銀座のアンジェリーナがあります。運営者の2024年のサロン再開の案内は、2016年にサロンを終えた後も物販を続けたと説明します。物販とサロンを通じ、茶色い栗と乾いたメレンゲの型も日本で受け継がれています。
黄色いクリームに残る、仕事と好み
一九六五年に文化堂の名で開いた神奈川のロリアンでは、黄色い栗のモンブランが店で一番の人気商品でした。初代の回顧では、多い日には五百個以上を作り、白餡を加えたマロンクリームを煮上げるのは重労働だったといいます。金色の紙で包む作業は妻が担い、二人で夜遅くまで仕上げました。栗だけで練る配合とは違っても、白餡を合わせれば仕事がすべて軽くなるわけではありません。売れる菓子を大量に仕上げる、店の忙しさもそこにありました。
一九七〇年代初め、仙台のラ・セーヌで修業した鈴木敏恭にとって、栗へ白餡、クリーム、バターを合わせたクレーム・ド・マロンは、当時おいしいと感じたヒット商品でした。のちに同じ配合を再現してみると、今度は甘すぎると感じたと振り返ります。混ぜ物の有無だけで味の良し悪しが決まるのではなく、その時代に作る人と食べる人が求めた甘さも、菓子の受け止められ方を変えました。
黄色い栗の層にも、店ごとの選択があります。ララ洋菓子店では、以前は白餡をベースに栗の甘露煮を使う黄色いモンブランを作っていました。三代目の菊川儀明は、二〇二一年の取材で、以前の味にも固定客がいるため、商品を変えるにはその客を思う必要があると語っています。栗だけを練ったクリームへ一直線に置き換わるのではなく、なじみの味を求める客とともに、異なる配合が店に残りました。
乾いた台を保つ、店の仕事
メレンゲを台にするには、泡を焼き固めるだけでなく、中の水分を抜く時間が要ります。東京のアステリスクの和泉光一は、栗の風味を甘さで覆わない焼き加減を探り、ひと晩、低温のオーブンで乾かす仕立てにたどり着きました。日本ではかつてメレンゲの甘さを苦手とする客も多く、甘味と歯切れの釣り合いは、台を選ぶときの課題にもなります。
乾かしたあとにも仕事が残ります。生クリームから水分が移れば、メレンゲは柔らかくなります。チョコレートやカカオバターで水分を通しにくくする方法がある一方、パティスリー・ショコラトリー・レシィの寺﨑シェフは、防水しない台の歯切れを楽しむため、購入後三十分から一時間ほどで食べることを勧めています。同じ台でも、乾燥、表面の処理、組み立ててから食べるまでの時間が食感を変えます。
パリと東京で磨く、栗と器具
アンジェリーナの栗の線は、配合を変えなくても、原料と道具の改良で変わります。パリのシェフ、セバスチャン・ボーエルは2007年の就任後にマロンペーストを見直し、イタリア栗の果肉に入り込む渋皮まで手で除く原料を選びました。日本側が2010年に紹介した新型も、無糖の生クリームとメレンゲの配合は保っています。茶色いペーストを使うことは、渋皮を混ぜ込むことと同じではありません。
パリの製造現場を訪ねたフランソワ・シモンは、東京で改良された栗クリームの圧出器具が、パリでも手作業のピストンに代わったと記しています。ボーエルが台を乾かすのは、栗と乳の柔らかさに、さらに柔らかいものを重ねず、歯切れを加えるためでした。日本へ届いた型が、道具の工夫を伴ってパリへ戻る。モンブランの往来には、味だけでなく、一日に何個も均一に絞る技術もあります。
栗を絞る時間を見せる
京都の『Leaf』は2019年10月、木屋町高辻の「和栗専門 紗織」を訪ね、丹波栗を約1ミリの線に絞る姿を紹介しました。薄い絹織物「紗」に重ねる店名と、器具から降りる幾筋もの栗が結びつきます。産地と線の幅に加え、作る場面を見せることも、店の選択になっています。
栗の線を離れて広がる山の名
栗を線にせず、ゼラチンと泡立てクリームでムースにし、スポンジと重ね、メレンゲを別添えの飾りにするルセットもあります。国内の製菓材料店には、サツマイモをカップケーキとカスタードへ絞る型、カボチャをココアスポンジとムースへ重ねる型もあります。名は栗だけでなく、細線の覆いと層の作り方へも広がります。
小樽の別のモンブランは、ココアスポンジを岩肌、生クリームを雪、削りチョコを岩石に見立てます。チョコを筒にするか薄く大きく削るかも店で違います。東京の流行を知らず、山を想像して作ったという地元の由来譚も伝わります。栗の線なしにも山の名が根づいた例です。
上海の凯司令の栗子蛋糕は、新鮮な栗を砕く栗蓉とクリームを合わせます。伝承者の楊雷雷は、収穫期の菓子が加工の改良で通年化したと語ります。1928年創業の同店は、ドイツ式製菓の技術を取り入れた老舗でもあり、パリからの直接の伝播だけでは語れない栗菓子の系譜があります。
フランス領アンティルの同名菓子は、栗でなくココナッツのカスタードを生地へ挟み、外も白いココナッツで覆います。雪山の名が同じでも、栗、乳、焼いた台の順序は一様ではありません。各地は、その土地の材料で別の山を形にしています。
用語解説
- セバスチャン・ボーエル
- 2007年にパリのアンジェリーナの製菓を率いるようになった職人。栗原料と製造工程の改良を手掛けた。
- フランソワ・シモン
- フランスの食文化の書き手。アンジェリーナの製造現場を取材し、東京とパリの器具・製法の往来を伝えた。
- ルイ・マイヤール
- ジュネーヴの料理教授。一八九二年版の家庭料理書で、栗のヴァシュランとメレンゲを使う方法を記した。
- 楊雷雷
- 上海の凯司令蛋糕制作技芸の伝承者。栗子蛋糕の栗の扱いと季節性の変化を語る。
- エスコフィエ
- オーギュスト・エスコフィエ。フランスの料理人。『料理の手引き』の栗のモンブランは輪型の栗と中央のクリームを記す。
- 岡本純
- 明治期の料理書『和清西洋料理法自在』の著者。半渓散人の名でも記される。
- 市島謙吉
- 随筆家・蔵書家。1935年の『文墨余談』に銀座で食べた菓子の回想を残す。
- 塩沢芳朗
- 1935年の製菓雑誌の写真説明で、本郷・紅谷のモンブランの製作者と記される人物。
- 長谷部新三
- 麻布・和泉家の製菓職人。一九五二年に渡仏。ランペルマイエでの修業とのれんの継承が後年の取材記事に記され、一九五六年の製菓専門誌に帰国記事とモンブランの解説・口絵が載る。
- 勝目清鷹
- 東京會舘の初代製菓長。同店は「マロンシャンテリー」の考案者とする。
- ピュレ
- 材料をつぶし、裏ごしなどで滑らかにしたもの。
- マロンクリーム
- 加糖した栗の加工品。無加糖の栗ピュレとは絞りやすさや甘さが異なる。
- シャンティイ
- 砂糖やバニラで風味を付けたホイップクリーム。
- マロンシャンテリー
- 栗とホイップクリームを主材料とする菓子の呼称。店や時代で形は一つに定まらない。
- フレンチメレンゲ
- 生の卵白に砂糖を加えて泡立て、焼いて乾燥させるメレンゲ。
- ヴェルミセル
- 細い麺を意味する語。スイスでは細く押し出した栗のデザートの名にもなる。
- E・スール
- 一九一三年の『The New Practical Cookery Guide』の編者で、栗のモンブランとメレンゲを用いるヴァシュラン・スイスを別名で収録した。
- シモーヌ・モルガンターラー
- アルザスの栗菓子の呼称、村祭りでの供し方、修道女マルリーズのルセットを記録した書き手。
- 修道女マルリーズ
- 一九九六年のFrance 3 Alsaceの番組に登場し、母の栗菓子を好んだと紹介される修道女。
- フロランス
- アンジェリーナの広報担当者で、二〇一二年の取材でパリの同名別店とリヴォリ店の改称を語った。
- ルネ・ランペルマイエ
- 一九三〇年の新聞がリヴォリ通り二二六番地の店を区別するために用いた呼称。
- 鈴木敏恭
- 仙台のラ・セーヌで修業し、のちにエスプリ・ドゥ・パリを開いた菓子職人。栗と白餡などの配合について、修業時と後年の味の感じ方を語った。
- 和泉光一
- 東京のアステリスクのシェフ。栗の風味と釣り合うメレンゲ台の焼き加減を探り、低温でひと晩乾かす製法を語る。
- 寺﨑シェフ
- パティスリー・ショコラトリー・レシィの職人。防水しないメレンゲ台への水分移行と、食べるまでの時間を説明する。
- 菊川儀明
- ララ洋菓子店の三代目。白餡を使う黄色いモンブランの配合と、以前の味を好む客について語る。
パレードのモンブラン / Mont Blanc
京都・伏見桃山の洋菓子店「パレード」が手がける、素材の持ち味を大切にした「モンブラン」。
香ばしく焼き上げた自家製パイ生地に、アーモンドの風味豊かなダマンド生地を合わせ、サクッとした食感とコクのある味わいを土台にしています。このパイとダマンドの組み合わせが、上に重ねる栗の味わいを引き立てるよう設計しました。主役となるマロンペーストは、パティシエが栗から丁寧に仕込み、素材本来の甘みと香りを生かした自家製ペースト。さらに、食感のアクセントとして渋皮煮を重ね、なめらかなマロンペーストとのコントラストをプラス。ひと口ごとに、パイの香ばしさ、アーモンドのコク、栗の豊かな香りが重なり合います。







