Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

ガトー・ナンテ
Gâteau nantais
白い糖衣の下に重なる、アーモンドとラム酒の香り
ケーキ / フランス・ナント

低い丸いケーキを、薄い白い糖衣が覆います。ナントの名を持つガトー・ナンテは、アーモンドとラム酒の香りを、黄色く柔らかな生地に集めた菓子です。華やかなクリームを重ねない一台には、ラム酒を生地、焼き上がり、糖衣へと分けて加える仕組みがあります。その現在の姿と、古い同名菓子の歴史は、ぴたりと重なるわけではありません。
ラム酒が入る三つの場所
代表的な現代の作り方では、有塩バターと砂糖を柔らかく混ぜ、アーモンド粉と卵、少量の小麦粉を合わせます。小麦粉で強い骨格を作るより、卵とナッツの風味を前へ出す構成です。細かなアーモンドは、粒を噛む具としてではなく、生地全体の厚みを作ります。
ラム酒は生地へ混ぜた後、焼きたてにも染み込ませ、冷めてから塗る糖衣にも使います。炉内の熱を受ける香りと、焼いた後に加える香りを分ける作り方です。粉砂糖とラム酒の白い薄膜が先に口へ触れ、その下から柔らかな生地がほどけます。
店ごとに白いラムか褐色のラムかを選び、糖衣の下へあんずジャムを挟むかどうかも異なります。果実の層があれば酸味と艶が加わり、ラム酒の利かせ方でも香りの輪郭は変わります。白い表面は共通でも、その内側の配合は一つではありません。
港町の材料と、二つの由来の物語
ナントでは、職人ジャン・ルーローが1820年ごろ、サン・クレマン通りで作ったという話が伝わります。もう一つは、船員が航海用の乾いたビスケットをラム酒へ浸したことから生まれたという話です。人物が作る柔らかなケーキと、船上で湿らせる乾いた菓子では、物語の筋も異なります。いずれも、創作の場面を確かめる同時代記録には結びついていません。
港へ入る砂糖やラム酒の背景には、植民地の生産と搾取、大西洋奴隷貿易の歴史があります。ナント市の文化遺産資料も、アーモンド入りの柔らかな生地へラム酒を含ませ、白い糖衣を掛ける現在型の発明者と成立年は不明としています。
古い名と、異なる中身
1866年、1886年、1929年の料理書にガトー・ナンテの名が現れます。1886年にピエール・カンタンが記したのは「乾いた」型で、ほかにもカトルカールに近いもの、ラム酒や糖衣のないものがありました。名前は続いても、今日の柔らかくラムを含ませる一台と配合まで続いたとは限りません。
LUの箱から、地元の職人へ
販売の歴史には、物として残る手掛かりがあります。ルフェーヴル・ユティル、通称LUは、1882〜1972年に半工業的に製造しました。「Gâteau Nantais – Lefèvre Utile」と印刷した箱は、ナントの歴史博物館に残ります。
20世紀初めの広告は年末年始や公現祭の祝いへ向けて売り込み、戦後の広告では戦前と変わらない質を強調しました。LUの製造と広告は、柔らかくラム酒を利かせた型を港町の外へ広めました。
1970年代にLUの製造が終わると、専用ラインを要するこのケーキは工場の定番から消えます。1980年代から再び作るようになった地元の職人が、ラムの種類やあんずジャムの有無をそれぞれに選びました。現在の低い一台は、古い名、工場の箱、職人の配合が重なって定着した姿です。
用語解説
- 糖衣
- 砂糖を主体とする薄い被膜。ガトー・ナンテでは粉砂糖とラム酒を混ぜて塗る。
- ルフェーヴル・ユティル(LU)
- ナントの菓子メーカー。ガトー・ナンテを製造した包装箱が残る。
- ジャン・ルーロー
- 発明者として語られる職人名。同時代の裏づけは確認されていない。
- カトルカール
- バター・糖・卵・粉を基本に同重量で配するケーキ。ナンテの全配合がこの割合になるわけではない。
- 大西洋奴隷貿易
- 人を奴隷として大西洋を越えて移送し、植民地の生産や欧州との交易に組み込んだ歴史。
- ピエール・カンタン
- 1886年の料理書に「乾いたガトー・ナンテ」を載せたとナント市の文化遺産資料が記す著者。
- 公現祭
- キリスト教の一月の祝日。LUの季節広告の対象にもなった。







