Sweetlore世界のお菓子図鑑(234)

トレスレチェス
Tres Leches Cake
三つの乳をスポンジへしみ込ませる、中南米の冷たいケーキ
ケーキ / メキシコなど中南米

焼いたケーキへ乳を注ぎ、吸わせてから冷やします。トレスレチェスは、軽い生地の中へ乳製品の液をたっぷり含ませる菓子です。名は「三つの乳」。一切れの形を保ちながら内側に水分を抱え、中南米の誕生日や家族の集まりにも登場します。表面へクリームを塗るだけでなく、生地そのものを乳で満たすことに特徴があります。
発祥の物語と、家庭へ届いた缶の乳
メキシコとニカラグアは、ともにトレスレチェスを自国の食文化の一つとしています。乳製品の缶に印刷されたルセット(材料の配合と作り方)が各家庭へ広がったという話もありますが、発祥国や最初のラベルの年代は定まっていません。現在のネスレの解説も、複数国の創作の主張を挙げる一方、起源を不明としています。
缶の乳が変えたのは、材料の揃え方でした。水分を減らした乳、砂糖を加えた濃い乳、脂肪を含むクリームを一定の製品として合わせられます。ネスレのラ・レチェラは一九一〇年のスペインに製造の始まりを置き、一九七〇年代には中南米とヒスパニック家庭の製菓材料として定着したとされます。ニカラグアでも、観光当局が家庭製菓を代表するデザートの一つに挙げています。
普及の具体的な一場面は、マイアミの料理店ロス・ランチョスに残ります。二〇一四年の『El Diario NY』の取材で、支配人ファウスティーノ・ロドリゲスは、一九八一年の開店時に知人リタ・ケテルが母から受け継いだルセットを持ち込み、店で出し始めたと語りました。評判を受け、ルセットを紙に印刷して客へ配ったともいいます。
料理家マリセル・プレシージャも、同じ取材で、この店で初めて見たルセットをもとに、一九九七年版『The Joy of Cooking』へ自身のルセットを提供したと述べています。家庭のルセットが店へ入り、客の手元と料理書へ出ていく、菓子の広がり方がうかがえる証言です。
「三つ」は、同じ牛乳を三回ではない
加糖練乳は濃縮した乳と砂糖、エバミルクは主に乳の濃縮、生クリームは脂肪を含む乳の風味を担います。性質の異なる三つを混ぜるため、同じ牛乳を三度注ぐ場合とは濃さも甘さも変わります。
メキシコ向けのネスレの型では、加糖練乳とエバミルクにメディア・クレマというクリームを合わせます。キングアーサーの製菓著者PJ・ハメルは、加糖練乳、エバミルク、濃い生クリームを使い、エバミルクを乳とクリームの混合品ハーフ・アンド・ハーフへ替える選択肢も示します。名の「三つ」を保っても、組合せと配合は一律ではありません。
液を受け止める生地、吸収を待つ時間
ハメルの生地は、バターや油を加えず、卵の泡とベーキングパウダーを併用します。卵白は柔らかい角が立つまで、卵黄は砂糖とともにリボン状に落ちるまで泡立てます。卵黄側へ水、香料、粉、膨張剤を混ぜ、最後に卵白の泡を合わせます。
これに対しネスレの家庭向けの型は、コーン油、卵、エバミルク、ホットケーキ用の粉、膨張剤などをミキサーで混ぜます。泡を別々に作るか、一度に混ぜるかによって、作業も油脂量も変わります。
焼いた後はフォークなどで穴を開け、乳液を少しずつ注ぎます。ハメルは冷ましてから、途中で手を止めて吸わせます。ネスレの型は少し冷ました生地を型から外して穴を開けます。密すぎる生地には液が入りにくく、弱すぎれば形が崩れます。焼成後の吸収までを見込んで、生地を作る必要があるのです。
冷蔵してなじませ、提供前にホイップクリームを重ねます。ネスレの型にはイチゴやシロップ漬けの桃、ハメルの型にはマンゴーなどの果物やシナモンという仕上げがあります。
二段に重ねるアーモンドの型
料理家パティ・ヒニッチは、アーモンドを使った二段のケーキに仕立てます。アーモンド粉、小麦粉、植物油、アーモンドミルクの生地へ別に泡立てた卵白を合わせ、浸し液にも無糖アーモンドミルクをエバミルク、加糖練乳とともに使います。
下段へ液を注いで五〜十分待ち、アプリコットジャムと煎ったアーモンドを挟みます。上段には残りの液を二回に分けて注ぎ、吸わせてから八時間以上、または一晩冷蔵します。ホイップへライムの皮を加えて仕上げると、乳とナッツの濃さへ柑橘の香りが重なります。大皿一枚の型に比べ、段ごとに吸収を確かめる工程が増えています。
浸す液と、上に置く乳
焼き生地へ液を含ませる技法は、ほかの菓子にもあります。ビートンの一八六一年の家政書のトライフルでは、スポンジやマカロンへシェリーとブランデーを注ぎ、ジャム、冷ましたカスタード、ホイップクリームを重ねます。酒を含む底と上の乳の層を別々に作る型です。三種の乳そのものを浸し液にするトレスレチェスとは、味と層の配置が異なり、それぞれの菓子で浸す液と上の層が別の役割を担います。
バルカンのトリレチェ、カラメルの上面
南東ヨーロッパでは、アルバニアやトルコなどでトリレチェ trileçe の名が広まりました。二〇一四年のイスタンブールの食べ歩き取材には、菓子店だけでなく、昔ながらの肉団子の店へも入り込んだ新しい甘味の姿が残ります。アルバニアから伝わったという語りが広がり、二〇一五年の料理記事には、現地で人気だった中南米の連続ドラマを見て菓子を知ったという、アルバニア系の知人の話も紹介されます。
「三つの乳」には、牛、山羊、羊と乳の動物を三つ数える型もあります。一方、イスタンブールの店コフテジ・アルナヴトは、水牛乳の濃いカイマクと牛乳を混ぜると説明しています。缶の練乳二種をそろえる代わりに、手に入る乳と脂肪分で浸し液を作る、土地ごとの組み替えです。
上面をカラメルで覆うことも、この地域で広まった型の特徴です。レフィカ・ビルギュルのカラメル型は、牛乳、糖、クリームの液を四角く切った生地へ吸わせ、冷やしてから、糖を焦がしバターとクリームを加えたソースを広げます。上に引いた白いクリームの細い線を楊枝で交互に引けば、褐色の面へ白い羽根のような模様が現れます。ホイップと果実を盛る中南米の型に対し、乳を吸った層を、焦がした糖の薄い面が覆います。
ビルギュルには、提供前にスュト・レチェリを広げる別の型もあります。こちらは牛乳と砂糖を煮詰めた「乳のジャム」です。乳から煮詰める上掛けと、糖を先に焦がすカラメルでは、同じ褐色にも異なる加熱の仕事が残ります。
「四つ目」を浸し液にするか、上へ重ねるか
「四つの乳」になると、数え方にも幅が出ます。ネスレのドミニカ共和国向けクアトロ・レチェスでは、エバミルク、生クリーム、溶いた粉乳を煮て浸し液にし、上へドゥルセ・デ・レチェを塗ります。別の動物の乳を加えるのではなく、乳と砂糖を煮詰めた加工品を第四に数える型です。一方、同社のチリ向けの紹介には、チョコレートを第四の味とする例もあります。名の数字が同じでも、液として吸わせるものと、表面へ重ねるものの組合せは変わります。
用語解説
- 加糖練乳
- 乳を濃縮し、砂糖を加えた乳製品。
- エバミルク
- 水分の一部を除いて濃縮した無糖の乳製品。
- メディア・クレマ
- メキシコなどで用いるクリーム製品の呼称。
- ハーフ・アンド・ハーフ
- 乳とクリームを合わせた製品の呼称。
- PJ・ハメル
- キングアーサーでルセットを公開する製菓著者。
- パティ・ヒニッチ
- メキシコの料理を紹介する料理家。
- ロス・ランチョス
- 一九八一年創業のマイアミの料理店。トレスレチェスを看板の一つとする。
- ファウスティーノ・ロドリゲス
- 同店の開店時からの支配人として取材に答えた人物。
- リタ・ケテル
- 同店へ母からのルセットを伝えた人物として、ロドリゲスの証言に登場する。
- マリセル・プレシージャ
- ラテンアメリカの料理を調査・紹介する料理家、料理書著者。
- レフィカ・ビルギュル
- トルコの料理家。自身のサイトでトリレチェのルセットを公開する。
- カイマク
- 濃い乳脂肪の層を集めた乳製品。引用した店は水牛乳のものを使う。
- コフテジ・アルナヴト
- イスタンブールの肉団子の店。2014年取材でトリレチェの乳の組合せを説明した。
- スュト・レチェリ
- 牛乳と砂糖を煮詰めたトルコの「乳のジャム」。







