Sweetlore世界のお菓子図鑑(534)

クレイチャ
Kleicha
デーツを包み、家族の祝いに焼く
焼き菓子 / イラク各地・モスルなどの家庭と共同体

クレイチャ(Kleicha、كليجة)は、デーツやナッツの餡を小麦の生地で包む、イラクの焼き菓子です。巻いて切ったもの、丸いもの、半月形のものがあり、カルダモンやローズウォーターの香りを添えます。ラマダンの終わりに家族で焼き、イードの客へ供したり、隣人と皿を贈り合ったりする菓子です。
デーツの餡は、煮詰めるだけではない
デーツはナツメヤシの実です。乾燥の度合いや品種によって固さが違うため、餡にする前に種を除き、必要に応じて温めて柔らかくします。油脂と少量の加熱でほぐし、伸ばせるペーストに整えるルセット(材料の配合と作り方)があります。水分を長く飛ばしてジャムにするより、固い実を均一にして生地に重ねられる状態へ近づける工程です。
英国でイラク料理を作るフィリップ・ジュマは、デーツのペーストへカルダモンを加え、紙で挟んで長方形に伸ばします。生地も同じように伸ばし、2枚を重ねてきつく巻き、短く切り分けます。断面には生地と濃い色のデーツが交互に現れます。どこから食べても餡に届く形で、平たい餡を薄い生地で幾重にも包む方法です。
生地の香りと、発酵の違い
クレイチャの生地には小麦粉、油脂、水分を使い、酵母を加えて休ませる形があります。ジュマのルセットでは、バターと油を使い、ニゲラ(nigella)を生地に混ぜます。ニゲラは黒い小さな種子で、ごまとは別の植物です。カルダモンを餡に入れるほか、生地へ加える家庭もあります。
酵母を使う形だけでなく、ベーキングパウダーを使うルセットもあります。卵を生地に混ぜるか、表面に塗るだけにするかでも仕上がりは変わります。塗り卵は表面の艶と焼き色を作り、割ったときの中身とは別の層を整えます。似た包み菓子のマアムールにはセモリナを使う形がよく見られますが、クレイチャを単にその別名とすると、小麦粉中心の生地や巻き方の違いが隠れます。
形を変えて、餡を見分ける
デーツ以外の餡には、くるみやピスタチオを砕き、砂糖やローズウォーターでまとめるものがあります。油分のあるナッツを細かくし過ぎればペーストになり、粗く残せば噛んだときの粒を感じられます。砂糖と一緒に砕く方法も使われます。
エル・ムトワッリ家の例では、デーツ入りを短い巻物、ピスタチオ入りを小さな球形、くるみ入りを半月形にします。すべてのイラクの家庭に共通する目印ではありませんが、同じ皿に並べたとき、割らずに中身を見分けられる工夫です。同家にはチーズとごまを使う甘くないクレイチャもあり、呼び名の範囲はデーツのクッキーだけに限られていません。
宗教と国境を越える、家の仕事

2017年撮影、イラクで女性がデーツをふるいにかける。クレイチャの餡にも使われるデーツを選別する作業。
写真・図版:Taisir85/CC BY-SA 4.0/原図。Wikimedia Commons生成の450px縮小版を取得。追加のトリミング・色加工なし。原寸は共有環境の429を踏まえ未取得。
イスラームのイード・アル=フィトルは、ラマダンの断食が終わったことを祝う祭りです。クレイチャは、その数日前から家族が準備し、来客の茶やコーヒーに添えます。イラクのキリスト教徒もクリスマスや復活祭に焼き、ユダヤ人共同体にも祝いのクレイチャの習慣がありました。同じ名の菓子を、それぞれの共同体の暦に合わせて作ります。特定の1つの宗教行事だけから、この菓子の成立を説明することはできません。
バグダッドに生まれ、幼少期にアブダビへ移ったリーム・エル・ムトワッリの家では、母ブサイナから娘や家で働くフィリピン出身のアイダへ、作り方が受け継がれました。母が風味や出来上がりを確かめ、アイダが餡や成形、焼成を担います。家族だけでなく、同じ家で働く人の技術も加わって、贈り物の菓子が作られてきました。
2020年には、この家庭のルセットと手順がスミソニアンの担当者との協働で文字にされました。それまで目と手で加減していた方法を、離れた場所でも作れる形へ移す仕事です。祝いの贈り物だけでなく、亡くなった家族を思い起こすために配る機会もあり、クレイチャは人を迎える日にも、人をしのぶ日にも用いられます。
木型に残る、中世の名
食文化史家ナワル・ナスラッラーは、13世紀のアレッポの歴史家イブン・アル=アディームに帰される料理書『アル=ウスラ・イラル=ハビーブ』に、カリージャの名を見いだしています。1つは輪形の焼き菓子を円盤形にする選択肢として、もう1つは生地を専用の木型へ押す工程として現れます。14世紀ごろのエジプトの料理書『カンズ・アル=ファワーイド』にも、カリージャと同様の丸い抜き型への言及があります。中世の史料には、名を持つ菓子と形を作る道具の関係が見えます。ただし、そこに現代のデーツ入り巻物と同じ配合が記録されたわけではありません。
ナスラッラーはさらに、古代メソポタミアの女神イシュタルへ捧げる菓子と、中世の名や月形との関係を考察しました。ただし、これは名称や形、祝祭の比較から導いた歴史的な仮説です。現在のクレイチャと古代の菓子を、同じ配合が続いたものとして扱っているわけではありません。
彼女自身の家の記憶には、イードの2、3日前、家族で餡を詰めた大きな天板を近所の製パン所へ送り、焼き上がると籠へ入れて保管する仕事が残ります。餡を使い切った後は、残った生地を薄く伸ばし、茶の小さなグラスで抜いて、無餡のフフェイフィーヤートを作りました。家庭用のガス炉が広まると少量を通年焼く家も増えましたが、どの形を誰へ贈るかという選び方には、家ごとの違いが残っています。

切り口にデーツの餡が見えるクレイチャ。写真:Miansari66、原画像・PD宣言。加工なし。
用語解説
- ナワル・ナスラッラー
- イラクの料理と食文化史の研究者。中世のアラビア語料理書の翻訳者。
- イブン・アル=アディーム
- 13世紀アレッポの歴史家。料理書の編者ともされます。
- アル=ウスラ・イラル=ハビーブ
- 13世紀のアレッポに関係する料理書。
- カリージャ
- 中世のアラビア語史料に見える、クレイチャに関連する呼び名。
- カンズ・アル=ファワーイド
- 14世紀ごろのエジプトの料理書。
- イシュタル
- 古代メソポタミアの女神。クレイチャの系譜を考える仮説で関連が論じられます。
- フフェイフィーヤート
- 残ったクレイチャの生地を薄くして焼く無餡の菓子。ナスラッラーが家庭の記憶に記す名。
- デーツ
- ナツメヤシの実。種を除き、柔らかな餡にして使います。
- カルダモン
- 爽やかで甘い香りの香辛料。餡や生地に使います。
- ニゲラ(nigella)
- 黒い種子を香辛料として使う植物。ごまとは別のものです。
- フィリップ・ジュマ
- 英国でイラク料理を伝える料理人。デーツを巻くクレイチャのルセットを公開しています。
- マアムール
- デーツやナッツを包むレバントの菓子。セモリナを使う配合もあります。
- エル・ムトワッリ家
- イラクからUAEへ移った家族。スミソニアンの取材に家庭のクレイチャ作りを伝えました。
- イード・アル=フィトル
- イスラームの断食月ラマダン明けの祭り。
- リーム・エル・ムトワッリ
- イラク生まれの文化遺産研究者。家のクレイチャを贈る習慣を続けています。
- ブサイナ
- リームの母。家のクレイチャの味と仕上がりを伝える役を担います。
- アイダ
- エル・ムトワッリ家で菓子作りを担うフィリピン出身の作り手。







